[検索画面に戻る] | キーワード 投稿者:Redwood_Tree_M は 39件見つかりました。 |
4050件目 はじめまして 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月12日 午後 5時44分 はじめまして、こんにちは。 どうも話が噛み合っていないようですが、quasi_feline さんが言われることは 幸福の科学でも言われていますので分かります。 たしかに目覚めてない人にいきなり大きな理想を問うことは酷かもしれないし、 イスラエルについて専門的な学習も必要でしょうね。 それぞれ個人個人の資質、能力に応じて役割分担があり、それを通じて段階的に進めていくものと 考えるのが現実的です。 しかし方法論は別にしても、「ユートピア」「神の国」「仏国土」という理想は宗派を問わず 共通しているものがあるのではないでしょうか。 現代のキリスト教徒たちにマクロ的な理想があるのかどうか、 その辺の考え方を知りたいとは思います。 もともと、トマスモアの『ユートピア』が「どこにもない」という意味の造語だというのは、 知っています。総裁先生自身も法話のなかで教えています。 そして、後の思想家、果ては社会主義思想にまで受け継がれたことも 知っています。 トマスモアの皮肉の裏には、当時の腐敗した国家、社会(教会含む)に 対しての批判が込められていると考えるのが適切だと思います。 トマスモアの試み自体が馬鹿げたものではないと思いますよ。 (これは quasi_feline さんのメッセージ4047に対する返信です) |
4052件目 RE:逆です 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月12日 午後 7時46分 >トマス・モアはヘンリー8世に仕えていた「体制側」だったんですよ。 体制側であったとしても、体制に対して批判的であることはできませんか。 >そしてルターに対して批判的でDialogue On Heresiesと Supplications Of Soulsでプロテスタントの>プロパガンダをたたいています。 あなたの言われる「腐敗した国家・社会(教会含む)に対しての>批判」とはおおよそかけ離れたものです。 プロテスタントのプロパガンダを叩いたのは、いささか暴力的な革命よりも、 エラスムス的な理性による改革を理想としたからではないでしょうか? いわば理想主義者でありながら現実的な考えをしっかりと持っていたと思います。 さらに自身の考えをそのまま表明して弾圧を受けることや、その「どこにもない国」に至る ための方法が確立していないため誤解を受けることを案じていたと思います。 ユーモア好きでも知られていました。 また、トマスモアは若い頃からプラトンの「国家」やアウグスティヌスの「神の国」に浸透していました。 少なくとも、ひとつの問題提起として打ち出したのであり、単なる茶番を論じたわけではないでしょう。 後の社会主義者が逆に受け取ったというのは、唯物論や暴力革命を持ってきたということで、逆という意 。ならわかります。 (これは quasi_feline さんのメッセージ4051に対する返信です) |
4053件目 隼的教育 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月12日 午後 7時48分 はじめまして、 隼(はやぶさ)的教育法についてですが、話は話として一つの感動的な小話と 受け取ることもできますが、言わんとしていることは「信、行、学」のなかの 「学」の重要性だと思います。 「信」が猫の宗教で、「行」が猿の宗教というのは、それまでは結構言われていましたが、 幸福の科学では、隼の親子のように「学」も重視していることを改めて認識してほしいという ことだったと受け取っています。 >>初転法輪から入滅までの数十年間には,その教えはなかったんでしょうかね? よく知りませんが。 >私も、良くわかりません。(汗) まあ、映画なので時間的にカットされたと考えるのが妥当ではないかと・・・(笑) >>いきなり比較的晩年の教えになっていたように思うので,その間の期間は何をされていたんでしょうかね? >当会ct苦難と同じだったと思いますよ。 >「出る杭は打たれる」・・・ですからね。 釈尊は、批判に揺らぐことはなく賞賛にも大喜びすることはない、 という態度だったようですね。 (これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ4049に対する返信です) |
4059件目 現実主義 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月13日 午前 0時20分 >トマス・モアの思想は社会主義と相容れません。 これは特に否定するつもりはありません。 ただ、ユートピアの概念は受け継いでいると思います。 >モアが王と協力して異端弾圧に情熱をもやしたのも、彼が現実主義者だったからです。 トマス・モアは法律家だったこともあり、現実主義的であったのは伺えます。 最期は壮絶な死を遂げられましたが、盲目的な現実主義者ではなかったことも伺えます。 (これは quasi_feline さんのメッセージ4058に対する返信です) |
4216件目 ハヤブサ的教育(重大な訂正) 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月21日 午前 4時23分 どうも朝早くに失礼します。(笑) >「信」が猫の宗教で、「行」が猿の宗教というのは、それまでは結構言われていましたが、 >幸福の科学では、隼の親子のように「学」も重視していることを改めて認識してほしいという >ことだったと受け取っています。 このハヤブサ的教育についてですが、私、大きく勘違いしていました。 信が猫で、行が猿で、学が隼という解釈をしてしまいましたが、 この「宗教のかたちについて」という法話のテープを購入し、 改めて通して拝聴していたところ、大きな間違いに気付きました。 WW_R2さん、他、関係者の皆さん失礼しました。 特にこの3組が等価ということではないようです。 信の説明として猫型(受動的)と猿型(能動的)を分けることはできますが、 行が猿型とは説いていません。また、学が隼とも言っていないようです。 学は、いろんな経験から学ぶことや知識としての学習の大切さですね。 ちなみに、この「信、行、学」は大乗仏教のテーマにもなっているものです。 三つとも大切ですね。 らためて隼的教育とは何かというと、 猫型、猿型は、子供の危機の際に親子はどう対処するか? という危機のときに関する説明でしたが、 幸福の科学の教えの特徴としては、それだけではなくて、 マンハッタンの高層ビルから飛び立つ隼のように、 「人間としての使命を最大限に果たすにはどうしたらいいか」 また「多くの人の幸福のためには何ができるだろうか」 という、繁栄の思想、成功の教えも説かれているということですね。 まあ、これでも説明が足りないかもしれませんが、 以前より大分マシになったかと思います。 勉強になりました。 では、 (これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ4053に対する返信です) |
4217件目 re;ハヤブサの話 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月21日 午前 4時38分 >大川さんの輪廻転生理論では、動物や鳥類は >霊的レベルが人間よりも下なのではありませんか? たしかに、下と言えば下ですが、山川草木悉有仏性という言葉もありますし、 お釈迦様はいろんな動物や植物にも学んだという逸話は残っております。 上のものが下のものから学ぶというのは、この世的にもあることです。 教師が生徒から学び、上司が部下に学ぶこともあります。 それは霊格が違っていてもあることだと思います。 >その方は若いお母さんがたに教育のことを講演することが多く、聴衆の心をつかむために最初に>動物の子育ての話をするそうです。 誰にでも分かりやすく教えを説いているということですね。 (これは quasi_feline さんのメッセージ4214に対する返信です) |
4218件目 re;素朴な疑問 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月21日 午前 4時46分 >会員のみなさん、いかが思われますか? たしかに地獄に堕ちた人から見れば、動物や植物のほうが 上かもしれませんし、どんな人からでも、どこかに学ぶところはあると思いますよ。 (これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ4215に対する返信です) |
4219件目 BONFU_Mさ 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月21日 午前 5時01分 はじめまして、三帰おめでとうございます。 自分を一番良く知っているのは自分ですからね。 仕事でも勉強でもいいですが、何か実績を積むと自信も出てくると思います。 一割増しの自分を目指していけば大丈夫だと思います。 カントの『一視霊者の夢』手に入りましたか? ある程度、カントの思想、人間性を知っておかないと面食らうかもしれません。 でもなかなか面白い本だと思います。 では、 (これは BONFU_M さんのメッセージ4122に対する返信です) |
4260件目 お返事ありがとうございます>BONFU_M さん 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月22日 午後12時23分 話を伺っていると、カントがしっくりくるというのがとても解る気がします。 密かに応援しています(医療系の大学ですか)。 BONFU_M さんの今までの経験上で、確固として掴んだものがあると思います。 機会があれば、いろいろと教えていただきたいと思います。 ありがとうござ 「ました。 (これは BONFU_M さんのメッセージ4233に対する返信です) |
4311件目 あ、赤木ではないです。(笑) 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月24日 午後11時14分 Redwoodは、アメリカスギですね。 アメリカスギは、成長が早くて巨大な大木になると言われてます。 名前負けしてますが、凡夫さん、不肖の弟子さんは逆ですね。 まあ、それぞれの思いがあるのだと思います。 >動植物は、人間の思いによる世界とは一歩離れたところで魂修行をしていますね。 そうですね。動植物たちは人間のことなど知ったことではないかもしれません。 自然であるがままに生きているんだろうなあと思います。 でも、精一杯生きているのは感じますね。 >もし、「霊的レベルが上のものが下のものを教えるほうが自然」という考え方に至る宗教があるとし>たら、私とは水が合わないことでしょう。 秩序がありますので、基本的には上のものが下のものに教えますよね。 例えば、部下より上司のほうが、生徒より教師のほうが勉強 オているのは当然だと思います。 大事なのは柔軟性ではないでしょうか。 自己限定したり頭が固くなって、「有」の状態にならないようにしたいものですね。 では、 (これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ4222に対する返信です) |
4395件目 予言 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年5月31日 午前 1時23分 はじめまして。 先生ご自身の予言についての考え方は、すでに初期の頃、 1988年に述べられています(書籍『運命の発見』に載っています)。 予言は「今のままで行けばこうなるだろう」という予測であり、 霊人のなかには、予言は”変えられない”と言う人もなかにはいるが、 先生ご自身は、予言は”変えられる”と考えている、と述べられています。 以下、Msg.35の指摘に関する補足です。 『フランクリースピーキング』の予測は、 日本があの当時の勢いで繁栄の道を歩めば、 相対的に日本とアメリカが逆転するだろうという話です。 それを80年代初期に感じていたとのこと。 (バブル叩きがなければどうなっていたかは分かりませんが) ゴルバチョフ大統領、エリツィン政権については、 法話「押し寄せる愛の大河(1990年)」の話だと思われます。 正確には、「ゴルバチョフ氏は、近い将来に政治の舞台から消える。悪ければ暗殺もあり得る」 「次に来るのは恐ろしい男であると思います。 もしこれが短期政権になるようであれば、次に来るのは さらに危険な男である」といったお話です。 実際、流れとして世紀末現象は起きて、 活動の成果はピンポイント的に働いたという印象は持っています。 ちなみに、預言ではなく予言ですね。 (これは issen_dai さんのメッセージ4392に対する返信です) |
4546件目 「菩薩」とは、 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年6月05日 午後 9時25分 「菩薩」というのは、幸福の科学でも多義性があります。狭義においては、次元構造の七次元領域(菩薩界)の住人を菩薩と言います。 広義においては、悟りを目指して修行し人々の救済を目指している人のことを菩薩と称したり、その 謔、な行為のことを菩薩行と言うことがあります。 お布施も、そういう意味で菩薩行に含まれると思います(三輪清浄が伴うことが必要)。 また、何かひとつの能力が突出している場合に、○○菩薩と言われることがあります。 1千万円で菩薩というのは、広義の意味における菩薩でしょう。 (これは issen_dai さんのメッセージ4535に対する返信です) |
4557件目 追加 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年6月06日 午後 7時08分 念のため、「1000万で菩薩」という言葉は、総裁先生の法話のなかにある話ではありません。 ただ、僧団のレベルにおいて、本当に純粋な心を持ち、布施行に秀でている人がいたならば、その方を布施菩薩と呼ぶことはあっていいと思います。 (これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ4546に対する返信です) |
4932件目 syousiminn1004さんへ 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年6月29日 午前 1時13分 はじめまして。Redwood_Tree_M と申します。 >幸福の科学に限らずあらゆる宗教では自殺者は地獄に落ちると教えてますよね? 自殺した方は、そのまま天国には帰れず、たいていの場合は地獄にすら帰れないでいるようです。 亡くなった後、地上を徘徊するようになるそうです。 なぜなら、地上に対する強い不満足感を拭いきれないものがあるからだと思います。 お釈迦様は「人生とは苦である」と言われました。 でも、私たちは単に苦しむ為だけに生まれて来た訳ではないと思います。 そのなかでいろいろな学びがあって、いろいろな出会いがあると思います。 今までの人生のなかで発見したものが何かあると思います。 syousiminn1004さんは、学んだものや発見したものを持って帰りたいと思いませんか。 何か煌くような、いい思い出はありませんか。 振り返ってみますと、ご両親や友人などから「愛」を与えられたことはありませんか? (これは syousiminn1004 さんのメッセージ4899に対する返信です) |
5246件目 RE:大いなる志を持つ人は・・・・・ 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月19日 午前 9時24分 はじめまして >古くは釈迦も歩いた。キリストも歩いた。現代でもそうだろう。大いなる志を持つ人 >は席の暖まる暇などないはずだ。 >振り返って大川氏はどうだろう。自らエルカンターレという最高神だと宣言していな >がら、自らの城にこもって、信者達の前には時々ビデオで一方的に話し掛けているだ >けのような気がする。 以前は総裁先生も、北は北海道、南は沖縄まで、説法されておりました。 ただ、ビデオやテープ(CD)、書籍における法の普及は、 時間、空間的な制約なしに学ぶことが可能です。 文明の利器を有効活用させてもらってます(笑)。 koremomatahibi さんが言われる、辻説法のような形態をとっても、 ビデオ収録はあるだろうし、後世に法を残すという意味からすると、 あまり変わらないかもしれません。 もっとも、直接的に、同じ空間を享受しながら説法を聴くということは、 そこに現れる光の度合いとして異なるものがあるでしょうね。 それは、キリスト教の歴史においても、仏教の歴史においても、 同様のことが言えるのではないかと思います。 (これは koremomatahibi さんのメッセージ5234に対する返信です) |
5247件目 Re:なぜ姿をあらわさないのか? 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月19日 午前 9時42分 >信者さん達は、軽々しく人前に姿をあらわしたら神のありがたみが薄れるとか、マスコミの餌食に >なるからとかいうかもしれないが、それはどうだろう? どうでしょうか? 姿はいろいろな場所で、法身として現われてますので、あまりそういうことは考えませんね。 また、信仰者であれば、常に仏と一体です。 「姿を現せ」という気持ちは分からないでもありませんが。 >マザーテレサやダライラマは世界中に姿を表し、活動し教えを広めたが、それによって彼らの価値 >はむしろあがった。彼らの心意気を皆は理解したし、誰もくさしたりけなしたりしなかった。 どちらも素晴らしい方だとは思いますが、考え方として異なるものがあると思います。 >イエスは占領下ユダヤの地において、聴衆の前でローマのスパイに「カエサル(ローマ皇帝)に税 >金を納めるべきかどうか」と聞かれたとき、「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に返そう」 >と見事に切り返し、ローマへの反逆者ともされず、ユダヤ民衆の支持も失わなかった。 ただ、その後のイエスがどうなったかを考えると、疑問なところですね。 問題は、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」という 言葉だけでは終わらないものがあります。 (これは koremomatahibi さんのメッセージ5235に対する返信です) |
5258件目 大いなる志 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月19日 午後 9時06分 >信者の前にはビデオでしか姿を表さない。 「一般の信者さん」にとっては、なかなか拝見するのは難しいことですね。 人数が増えたこともあるし、 すべての信者一人ひとりに構ってはいられないでしょう。 現在は、岩戸隠れされているのかもしれませんが、 今後、どうなるかは分かりません。 >年に一冊程度、 ご法話は年に何回かありますし、現在は研修やセミナーが充実してます。 >行間を非常にひろくとった、 行間はそれほど広いとは思いませんが、文字が大きく読みやすいです。 (最近では、新聞も文字が大きくなりました。) >過去の焼き直しのような内容の薄い本しかださない。 そうでもないですよ。 過去に説かれたことをいろんな角度から述べられることはあるでしょうね。 >だって幸福の科学的なユートピアができる見込みがまったくないのに、指導者がそんなに >やる気のないことでは困るでしょう。以前は21世紀までには日本人全員を信者に >すると教祖様はおっしゃったというのに、その大いなる志はどこにいったのでしょうか? 「法を説くは師にあり、法を広めるは弟子にあり」です。 以前に比べると理論的な話が多くなったのも確かで、志がなくなったと表面的には感じるのかもしれません。 志は勿論大事ですが、それに伴うものが必要です。 それが、「智慧」であったり、「愛」であったりするのでしょう。 >だから自分の写真を一枚100万円で下賜したり、 >1000万円上納したものは菩薩の位を与えるなどという、 ただの写真ではないですが、お布施には感謝の意味があります。 「菩薩の位を与える」というのは語弊がありますが、 その与えられた方にとっては、それほど拘るものでもないようです。 >一般から広く浅く献金を求めるのではなく、 これは、あるとすれば書籍くらいですが、その必要性が感じられません。 >自分から絶対に離れられない信者さん達から、 >乾いた雑巾をしぼるがごとく金を吸い上げようとする、そんな姿勢が感じられます。 強制はありませんよ。 (これは koremomatahibi さんのメッセージ5252に対する返信です) |
5259件目 「智慧」 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月19日 午後 9時24分 >問題は「写真週刊誌に悪口を書かれて逆上して、講談社に電話・ファックスによる嫌がらせ >(その点は最高裁判所により認定されて、講談社への120万円の賠償命令が確定されています。 >信者さん達は認めたくないかもしれませんが)をして、教団は世間の評判を無茶苦茶落とした」 > ということです。 >そこに確かな「智慧」があればこんな稚拙な行動はとらないでしょう。特に全人類の救世主足る >べき人がこんな事ではどうにもならんでしょう。 中傷、捏造記事を毎週のように載せられても黙っている、 というのがあなたの「智慧」ですか? (これは koremomatahibi さんのメッセージ5254に対する返信です) |
5261件目 どの辺ですか? 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月19日 午後10時32分 はじめまして >学歴 学歴というか、学問の重要性は説いてますね。 何らかの形で一定の学歴(または資格など)を持つことは 推奨されているように思います。 >競争 イメージとしては、あまり好きではありませんが、 競争原理も、「万人の万人に対する闘争」にならない範囲で 必要な原理だと思います。 どなたかが言っていた「志」や、「夢」はありますので。 >物欲 物欲に捕われて、心が無くなってはまずいですが、 必要最低限の物財はあったほうがいいでしょう(笑)。 「衣食足りて、礼節を知る」という言葉もあります。 さらに発展の考えとして「豊かさ」を求める心は大切なものだと思います。 自助努力が基本ですが、それによって発展途上国の支援も可能でしょう。 >幸福社会実現を目的に生きる人間が豪邸暮らしでエアコン漬けかー どういう生活しているのかは定かではありませんが、 仏教でも木陰に隠れての瞑想修行はしていたでしょう。 それがクーラーになっただけで、それほど変わるものとも思いません。 健康には気をつけないといけませんが、 苦行は勧めてませんので・・・。 >会員さん 現代は時代の変革期であることは確かだよ。情熱の矛先は他にあると思うよ どの辺ですか? (これは nnmmnmm さんのメッセージ5260に対する返信です) |
5281件目 「志」は書籍のなかに 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月20日 午後11時10分 >何も総ての信者に直接会って話しろなどと誰も言っていません。広く人々に肉声で訴えること >なしに、どうして理想社会が建設できるのかということです。「熱意」と「志」の問題です。 >はたからみているとまるで教祖様のやる気が感じられません。 書籍によって広く人々に訴えていますよ。 「志」は書籍のなかにも込められていることでしょう。 また、映画も上映されました。 肉声が聞きたいのなら、テープを聴いたりビデオを観ましょう。 >私は一言も「沈黙しろ」などと書いてませんよ。「上手に切り返して、 >第三者にさすがといわれるような行動を取れ」と書きました。 >そこでその団体と指導者の「智慧」が試されるのです。 いや、あなたの知恵はどういうものですか? 総裁先生は『幸福の科学興国論』やその他の書籍において、 マスコミのあり方、言論・出版の自由、信教の自由について具体的な理論を 展開されています。 さらなる提言もされています。 >幸福の科学はその点で思いっきり失敗して、世間の評判は奈落に落ちました。 世間の評判を落とそうとしたマスコミ に抗議したのですよ。 むしろ会員が増えたのは91年以降です。 (これは koremomatahibi さんのメッセージ5279に対する返信です) |
5300件目 指導 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月21日 午後10時28分 >なんども同じ事書くのはいい加減に嫌になります。指導者が自ら先頭にたって行動しない >団体が発展するわけないでしょう。ユートピアができる訳ないでしょう。 外面的なパフォーマンスによる指導をすればユートピアができるのだ、 という考えでもないですね。 また、独裁的な指導でユートピアができるとも思いません。 書籍やビデオなどのほうが、時間、空間的な面で効率的です。 教えを学んだものが、今度は先頭に立っていけばいいのではないでしょうか。 >同じ事をなんどもかくのはねえ。「抗議」ではなく、「嫌がらせ」であるのは最高裁判決で確定して賠 >償命令も同じく決定しています。 人数が多くて営業妨害になったとしても、抗議は抗議です。 >私の周りに信者さんが全然見かけないということのほかにわからないことが多すぎます。 詳しい数字は分かりませんが、毎月のように三帰者が増えているのは確かです。 良いか悪いか、一概に言えないものがありますが、 むやみに第三 メに伝えない人は結構いるようですね。 また、「信・行・学」にある、「学」を重んじるのが特徴の団体でもありますので、 あまり活動はしないが、個人的に書籍で学んでいる方もおられます。 (これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ5246に対する返信です) |
5315件目 『奇跡の法』 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月22日 午前11時12分 運営方針に関しては、着実に進歩していることは感じています。 もう少し組織的に、システマチックな考え方で捉えないと、 分からない部分はあるでしょうけど。 釈尊も、いろんな地域に弟子たちを遍歴させていて、 組織運営には長けていたようです。 自らの足で歩いたとしても、それには限界があります。 以下、参考までに『奇跡の法』より抜粋です。 志や方向性が伝わります。 ---------まえがき------- 幸福の科学は、宗教であり、かつ、宗教を超えている。 そして、私は、人類と地球の未来に、本気で責任を感じている。 いままでもそうであった。これからもそうであり続 ッるだろう。 ---------あとがき------- 「個人が救われる」ということを、軽佻浮薄な思想とみなす傾向が、 マスコミ文化人には根深くある。少なくとも、現代日本においてはそうだ。 しかし、国家の政治や経済や教育を変革する「マクロ(巨視)」(?)的な 試みが、短期間のうちに破れ、 個人に光をあてる思想こそが、数千年の歴史を脈々と 生き続けてきたことが歴史の真実なのだ。 根源的なる思想は、いつも個人の生き方から説き始め、 歴史を検証しつつ、未来社会のデザインへと進むものなのだ。 (これは koremomatahibi さんのメッセージ5312に対する返信です) |
5395件目 Re:教学しようぜ 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月25日 午前12時18分 はじめまして。 >それで、話は変わりますが、最近、私も含めてですが、 >幸福の科学の会員の教学のレベルが落ちているんではないかと、危惧しています。 これは難しいところですね。 個人的には、昔の当会と比べたとして、教学レベルが落ちているとは思いませんが、 総裁先生の法話は、ここ2年くらい青色系(思考・理性)の話が多いですね。 知的な押しがまだ足りず、血肉となっていないところがあるのではないかと思います。 >正心館をはじめとする各精舎の研修は、公案、瞑想等の修法が中心ですので、 >知的なベースを固めるという点では、あまり効果がないのではないかと思っています。 なるほど。 ただ、精舎研修の目的としては、 瞑想、禅定、考案などにより、言わば左脳と右脳の両方をバランスよく修行する という観点があるようです。 知性を高めるための研修もあれば、『奇跡の法』など書籍を深く学ぶ研修もあります。 それに付いて来れているかは別として(笑)。 >今、幸福の科学にとっての、大きな活動指針になる『奇跡の法』にも、 >次のような記述があります。 『リバティ』では先月号くらいから、その方向性が現れています。 在家の会員さんのなかで、素晴らしい論文を書いたり、 経営論をしっかりと持っている方々に光が当てられています。 >じゃあ、私達ひとりひとりが、個人としてできることは、何なのかということを、 >もっともっと突き詰めてゆかねばなりません。 そうですね。 信、行、学、それぞれに言えることかと思いますが、 「突き詰めていく」というのはまったく同感です。 (これは TAO_0316 さんのメッセージ5393に対する返信です) |
5396件目 訂正 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月25日 午前12時25分 >瞑想、禅定、考案などにより 考案⇒公案 (これは Redwood_Tree_M さんのメッセージ5395に対する返信です) |
5401件目 Re:「信・行・学」って、何だっけ? 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月26日 午前12時03分 お返事、ありがとうございました。 「信・行・学」って、それぞれ文字通りのものだと思いますが、法話「宗教のかたちについて」が詳しいです。 というか、その法話以外では聞いたことないですね(笑)。 ちなみに、「信・行・学」は大乗の修行論で、「戒・定・慧」が小乗の修行論と 言われているものです。 TAOさんの話を聞いて思ったことは、新しい法話が説かれたとしても、 それによって過去に説かれた法話の価値が下がるものではないということですね。 勿論、明確に方向転換されているのなら別ですが。 基本は、常に「正しき心の探求」「愛・知・反省・発展」で、 「ユートピア建設」や「阿羅漢、菩薩」を目指すことは変わりませんよね。 そのために、個人として何が出来るかを考え、突き詰めていくことでしょうね。 そうすると、やはり『奇跡の法』が現在の重要な指針になりますね。 >青色系というより、ヘルメス意識がより強く出ている、と私は感じています。 なるほど。青い袈裟を付けた法話が割合として多いようですが、 それもヘルメスのマリンブルーということなのでしょうね。 (これは TAO_0316 さんのメッセージ5399に対する返信です) |
5467件目 便利かもしれませんが、 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年7月30日 午後 9時20分 >会員の質が低下しているのかどうかは、よくわかりませんが、 >教学面に関して ヘ、与えられる情報が少なくなったので、 >ちょっと低下してるかな、ということは、前に書いたとおりです。 たしかに、新しく入った会員さんのなかには、 昔の書籍をすべて読んでいないということはあるかと思います。 ただ、逆に昔のものだけ知っているというのも、また問題ですね(笑)。 >支部長なんかは、週に一回ぐらい、自分が今、感じていることなどを書いて、 >メールで送ればいいのに。 >そうすれば支部長のひととなりもわかって、会員との親密度も増す。 そういう支部は、あるようですよ。 便利なデータベースができれば、個人的には嬉しいことですが、 ちゃんと目的のものがHITするかどうかは難しいものがあるでしょうね。 たとえば「愛」で検索をかけたら、莫大な数のものがHITしてしまって、 それでは意味がないですね。 AND検索で、「愛AND知」と入力しても、どうでしょうね? 用語として、「一水四見」や「示・教・利・喜」などが、 どの法話にあったかなぁというのを知ることに関しては、 とても便利ではないかと思います。 あと、以前TAOさんが、 「 K福の科学は、政治的には、民主主義と自由主義を肯定しています」と 書かれていますが、これは的外れではないにしても、 早のみされてしまうことはあると思います。 『愛、悟り、そして地球』や『信仰告白の時代』等にありますが、 民主主義や自由主義に対して、一定の批判はしています。 一つの法話だけで語れない面がありますね。 その辺が、データベースで解決されるかはわかりませんが、 結局、個人の学びに起因するのでしょう。 または、会員同士での会話の必要性でしょうか。 メールで会員さんと通信することは多いですよ。 著作権については、放棄することはないはずです。 一部フリーというのはあってもいいかなとは思いますが、 個人的にも放棄してほしくないです。 (これは TAO_0316 さんのメッセージ5459に対する返信です) |
5492件目 TAO_0316さんへ 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月02日 午前 1時14分 >しかし、千冊もある本をいきなり提示されたら、クラクラしてしまう。 >そういう、学びの手引 ォにも、データベース化は必要で、 >いつかは、やらねばならぬことでしょう。 アナログ的なところでは、書籍として、そういった手引書は期待できそうですね。 あとは比較的簡単そうなところでは、たとえばAccessなんかで、 個人でデータベースを作ってもいいかもしれません。とても地味な作業になりますが(笑)。 その場合、OCRで書籍からスキャンしていくのが楽ですが、 写経のように手入力のほうが学びになるかもしれません。 インターネットでは、クラッキングなどに対するセキュリティの問題や、 会員登録があるならプライバシィの問題が必ず出てきますね。 それから、システム構築のためのコストがかなり掛かりますね。 また、ニーズがどれくらいあるかの算定を確実にしておかないと、 弊害にしかなりません(笑)。 >>そういう支部は、あるようですよ。 >そうですか。どれぐらい効果あるのかな? 活動の情報が送られてくれば、 流れに取り残されずに済むという効果があります(笑)。 特に忙しい人にはいいと思います。 個人の疑問・質問の受付のようなものはなかなか難しいようですが、 会員のほうが積極的であればいろいろとできるのではないかと思います。 インターネットの問題点として、よく言われているのは、 顔が見えないので言いたいことを言ってしまうというのがありますよね。 なかなか言えなかったことが言えるというメリットもあるのかもしれませんが(笑)。 人数が増えますと、それなりのルールも必要になりますね。 >話は変わるんですが、各支部が総合本部に直結する形になって、 >出てきた弊害として、 >他支部の動向についての情報があまり入らなくなったことがあります。 >昔の地方本部が中間に入る方式のほうが、 >その点に関しては、都合がよかった。 以前は、各支部と総合本部の中間に、地方本部というバイアスがあって、 それが弊害になっていたところがあると思います。 >私のアイデアの基本は、 >インターネットを使った、「四方サンガ」の形成です。 >普通の支部を通した活動は、「現前サンガ」と呼べるべきものでしょう。 >しかし、インターネットを通じた会員同士のつながりは、 >四方サンガというべきものになるのではないか。 >そして、その四方サンガの「あるべき姿」とは何かを、 >みなさんと考えていきたい。 さしあたり言えるのは、民主主義的形態に馴染むもので、 戒律の範囲内で自由闊達な議論が行える組織でしょうか。 ちょっと大きなものをやるなら、支部長に相談してみたらどうでしょう。 「あるべき姿」のためなら、手放しでは賛同しないと思われますが・・・。 個人的には、すでにいろんな地方の方とメールはしてます。 (これは TAO_0316 さんのメッセージ5476に対する返信です) |
5514件目 時期 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月04日 午後10時41分 >あー、あとねー、インターネット関連の話>はやめたわけではないんだけど、 >もともとピーマン頭をフルに使ったので、ちょっと疲れちまった。 >とりあえず、中間のまとめみたいなの、 >いいだしっぺとしてカキコしなきゃいけませんね。 大々的にやるとすれば、現時点では、壮年の方々や中堅の一部の方には、 厳しいものがあると思います。 時代を先取りし過ぎたということで、まとめになるかなぁ(笑)。 あと、『リバティ』の10月号辺りに、 情報化社会についての論文が特集される 予定ですので、それを参考にしてからでも 遅くはないと思います。 (これは TAO_0316 さんのメッセージ5510に対する返信です) |
5542件目 Re:コメント 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月07日 午後11時25分 >『ザ・リバティ』の編集部が読者の意見を募集していて, >10月号のテーマが「情報化社会と私」(7月31日必着)と >なっておりました(8月号 page 21)。 >これのことじゃないかな? >来月号も楽しみですね〜。 はい、そうです。 ちなみに、昨年(2000年)の8月号には、 「ITブームは本物か!?」という内容の記事が掲載されています。 そちらも、参考になるかと思います。 (これは WW_R2 さんのメッセージ5541に対する返信です) |
5640件目 Re;霊言集について 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月18日 午前 1時16分 総裁先生は、『道元禅師霊示集』(土屋書店)の「あとがき」で、 次のように書かれていますね。 「大切なことは、高級霊の言葉といえども、真理の大海という多様さのなかの 個性にしかすぎないことを知ることだと思います。そして、ひとつひとつの霊訓を うのみにすることなく、自らの心の糧となるものを選び取ってゆくことが大事だと思います。」 (これは gamandesune さんのメッセージ5638に対する返信です) |
5643件目 >mononohu009氏 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月18日 午前11時27分 >ほんっっっっと会員のレベルは変わらんねー。低い!!!! これは、おそらく「おたがいさま」なところだと思いますが、 会員個人個人の精進の必要性は感じるので、 そのように受け取っておきます(笑)。 >ある支部のリーダー会員で、地区長をしている人が、 >支部での公案中になんと、坂本竜馬と勝海舟と西郷隆盛と >吉田松陰と福沢諭吉と木戸孝允の >霊言を受けたそうで、ワープロで ナって会員に回してやんの。 >会員も、「すごーい」といって喜んでました。 どちらにしても、こういう類の話は、もし霊言であったとしても、 すべて鵜呑みにする必要はないですし、その内容の問題だと思います。 >ベストセラーは会自体と会員が一人で何冊も買いまくっているの本当です。 一般会員は、献本している人は数冊購入し、そうでない人は一冊のみ購入する、 というのが本当のところです。 支部で購入する人もいるので、 まとめて置いておくことはあるでしょうね。 >1年位前に地区長さんから久しぶりに電話があって、 >いきなり100冊買ってくれと言われたのにはあきれるとともに、 >あっっっったまにきましたよ。 たぶん、同じことを私が言われたとしたら、同じく呆れるでしょう(笑)。 (これは mononohu009 さんのメッセージ5642に対する返信です) |
5662件目 ずれています。 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年8月20日 午後 9時36分 今でも、霊言集は高級霊の多様な個性を学ぶために重んじられてますよ(一部を除く)。 たしかに、初期の頃は総裁先生自身も、「霊人たちから学ぶ」という スタンスでしたので、初期の位置付けとして、「霊人たちが上だった」という面はあります。 ちなみに、「方便の時代は終わった」というのは、 当会が、エルカンターレ系霊団として一本化していくことを意味しています。 あと、gamandesu"me" さんは、会員ではないです。 (TAOさんは、会員だと思ってますが・・) (これは nisemononi さんのメッセージ5660に対する返信です) |
5914件目 こんにちは 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月12日 午後10時09分 ELRANTY さんの意見が善であり正しいことであると思われているのであれば、 やはり、その一方では、悪があり間違いがあるということになるでしょう。 また、貴方の意見を参考にするとすれば・・・ 人間であるからこそ、善悪を知ることができるのであり、 善と悪が分からなければ、それは人間ではないということです。 人間であるためには、善悪を知り、 q慧の獲得をすべきだと思います。 Msg.5909 >「これが神の望んでいることだ、神にとっての善だ」と信じ込んだ結果、 >信じる事柄が対立するものたちが互いに争いをしていったのです。 この「神(仏)の望んでいること」というものを、幸福の科学的に言うとすれば、 「限りない進歩と調和」です。 Msg.5910 >「人間社会の善悪を超えた、神にとっての善があるのだ」 >と会員が信じたことが原因なのです。 たぶん、人間社会であっても、捏造中傷記事が善いことであるとはされないでしょう。 Msg.5911 >人類が愚かしい争いに手を染めなくなるのは、 >神はなにも望んでいないのだから、「なにが善でなにが悪か」は神と切り離し、 >わたしたちの問題として、互いに話し合って決めればいい、と気付いたときです。 たしかに、「人類の総意を汲む」という観点で「善」を捉えることも可能だと思います。 「神の声が聞こえなければ、全人類に聞け」ということも言えるでしょう。 ただ、地球上から、神や宗教の観念を無くすことは無理があります。 それこそ、争いが巻き起こるでしょう。 ( アれは ELRANTY さんのメッセージ5911に対する返信です) |
5936件目 よく分からないですが。 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月15日 午前 2時43分 >わたしの主張は、人間である以上は、そして自我をもっている以上は、 >「善を選び、悪を捨てる」 という行為をしていくしか方法はないかもしれないが、 >その「善悪の基準」を、神という不確かなものに求めるのはやめなさい、 >ということです。それが争いの原因となってきたからです。 何か神と人間社会を断絶させたいようですが、 あなたの理論で言いますと、世俗社会で戦争が起きたとしても、 宗教が歯止めになることは無理のようですね。 >「人間社会のルールを破ってでも守らなければならない善(神にとっての善)がある」 >という恐ろしい思想なのです。 被害妄想ではないですか。 少なくとも、 国家の転覆を図ることと、一出版社への抗議行動が同等のものではないでしょう。 >宗教というのは、よほどひどいところでなければ、大抵いいことを言っています。 >にもかかわらず、いつまでも争いが絶えないのはなぜだと思うでしょうか。 >あなたが今回言った、神の望んでいる「限りない進歩と調和」が、 >具体的にどういうことなのか、というところで食い違っているから、 >争いがいつまでも絶えないのです。 それなら、諸宗教に流れる共通なるものを見出していくことが必要なのではないですか。 (これは ELRANTY さんのメッセージ5919に対する返信です) |
5970件目 やはり分からないですね 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月17日 午後 8時24分 「争いを止める」という事をしたいようですが、 たとえば、一元論と二元論を比べますと、 普通に考えれば二元論のほうが争いが起きやすいということは言えるでしょう。 (西洋文明と東洋文明の歴史を見ても伺えると思います。) よく分からないことですが、「神と人間を分断させる」という、 あなたの行為そのものが二元論の特徴でもありますね。 幸福の科学の信者であれば、仏(神)の遍在を感じていることと思われます。 平和を求めるのであれば、まず心のなかに平和を確立することが必要で、 主張を聞いている限り、そのような内容を伺うことはできず、むしろ逆のものを感じます。 あと、「神は無相だ」という主張を、「空」の思想に通じるものとして見ることはできますが、 「空」とは、ニヒリズムに留まるものではないですね。 (これは ELRANTY さんのメッセージ5947に対する返信です) |
6041件目 Re:一元論と二元論 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月20日 午後10時33分 >せめてご自身が信じているのが二元論だということぐらいはわかってほしいものです。 別に、一元論、二元論、どちらも否定はしていませんが、 どちらも全面的に肯定もしていません。 幸福の科学では、基本的なこととして教えてますが、 二元論、一元論、それぞれの長所と短所を知りつつ、考えていかねばならないと思っています。 つまり、物事を一面的には考えないようにしています。 究極的には一元論が真理だとしても、現実の問題に対峙する場合、 それのみで解決できないものがあります。 かといって、あなたのように、神と人間社会を断絶されたものとも捉えていません。 >神の遍在を信じられたとき、ひとはこの終わりなき対立から逃れることができ、 >賢愚併せ持つ自分たちの意志がそのまま神の意志であると知り、 >対話によって平和な世界を実現することができるようになるでしょう。 別に、その説を否定するわけではないですが、 その前に対立ばかりに目を向けているあなた自身がいますね。 宗教だからすべて良いとも、科学だからすべて良いとも言えないものがありますから、 それぞれの良いところは取り入れていけばいいと思います。 両者の同化ができないとしても、必ずしも対立するものとは考えていませんね。 (これは ELRANTY さんのメッセージ5973に対する返信です) |
6112件目 Re:お願い 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月23日 午後10時56分 >わたしの投稿に返信をする義務はあなたにはありませんが、 >せっかくお返事をいただけるのでしたら、具体的に ィ願いします。 あまり結論を急ぐ内容でもないと思いますが、 抽象的なのは感じてます(笑)。 >わたしの認識は正しいと思うのか、あるいは二元論の長所とはなんなのか。 >逆に一元論はどのような問題を生み出す可能性があると考えているのか。 幸福の科学では、一乗思想や光明思想に対して、一定の批判をしているのは、 ご存知かと思っていました。 あなたも似たようなことを言われている気はしますが、 一元論のみでは、悪や無明な事柄に目を背けてしまい、 目を背けることによって大きな悪に発展してしまう場合があります。 特に国家レベルや大きな組織では顕著だと思います。 二元論の長所というのは、「知」や「進歩」の原理になるところでしょう。 参考までに、『幸福の革命』(第三章)から引用です。 ------------------------------ 善悪という相対的な基準は究極のものではありません。 しかし、善悪を分けていく過程において、人間の尊い魂修行である「智慧の獲得」が なされていくのです。 善と悪が分からなければ、智慧の獲得がなされていないのであり、 その出発点である教育 ェ成功していないことを意味しています。 教育の真義は、物事の善悪を判断する基礎となる知識を各人に習得させ、 その知識を、経験を通じて深いところまで理解させることにあるのです。 ------------------------------ >「宗教が争いをやめられないのはなぜか」という限定的テーマで語っているのです。 >宗教が持つ素晴らしい面については、おそらくあなたとは認識が共通しているでしょう。 >ところが、宗教がどのような問題を生み出すのかということに関する認識があなたがたには >欠けています。 >ですから、わたしはそういう限定的テーマで語ろうとしているのです。 限定的ということなら、理解できなくもないですね。 宗教が争いを止められないのは、「神が無相であることを悟っていないから」 「違いがあるから」という辺りが、あなたの主張だと思います。 たしかに、宗教にも個性があり、指導者にも個性があり、民族間の違いもありますので、 それぞれ異なっている面は否定できないですね。 幸福の科学においても、宗教の違いの克服はこれからのテーマになると思いますが、 「宗教の終焉」という発想にはならないでしょうね。 一つのカギは「発展の教え」だと思います。 抽象的かもしれませんが、ある意味、抽象的だからこそ、 多くの人にとって共通の理想になるのです。 あとは、個人個人がそれに向かって、自分なりのものを見出していくことかと思います。 (これは ELRANTY さんのメッセージ6057に対する返信です) |
6122件目 ELRANTYさん 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月24日 午後10時33分 >かってに休憩宣言をしてしまって、失礼しました。 >あなたとの対話の途中でした。これで最後です。 いえいえ、なんとなく神学論争の様相もありますし終了しましょう。 >しかし、これはわたしの言っている一元論とは異なります。 >一元論とは、「善も悪も神の性質である」というものです。 あなたの考えに通じるものがあるとすれば、無の思想、無の哲学くらいですね。 そこから内容のある法が生まれれば、 表側の老荘思想や禅の悟りに発展していくこともあるかと思います。 ありがとうございました。 (これは ELRANTY さんのメッセージ6119に対する返信です) |
6182件目 八正道について、及びご挨拶 投稿者:Redwood_Tree_M 2001年9月28日 午後11時07分 morikawa_45さん、suganuma_akiraさん、はじめまして。 八正道に関しては、終わりということは無く、無限に向上していく原理と捉えています。 正語につきましては、基本的な「不妄語」「不悪口」「不両説」「不綺語」を踏まえて、 積極的な言葉や励ます言葉を含んだものとされています。 言葉には、批判や智慧の面もありますので、正語を弱いものとは捉えないようにしています。 他の会員さんからの指摘もありましたが、この場に来ているのは、 総会員数の一割に満たない程度ですので、ご意見はありがたく受け取っておきます。 もうすぐ、このトピも終了とのことですが、機会があれば、 そのときはゆっくりと会話してみたいものだと思います。 それでは、ありがとうございました。 (これは suganuma_akira さんのメッセージ6181に対する返信です) |